2012.05.20
第20回「前夜の決断」はご覧になりましたでしょうか?今回は戦の恩賞をつり上げるなど清盛が随分小者に思えてしまうtaigaなのでありました。という訳で本日はツッコミ系「ここが変だよ清盛その64」です。
その1、どちらにつくかで紛糾する平氏の一門会議で、決断を一任された清盛は皆が注目する中で「いずれにもつかぬ!これは戦の後のことを考えてのことだ。帝方も上皇方も、平氏の武力は喉から手が出るほど欲しいに違いない。こうして待たせることで戦の後の恩賞をつりあげるのだ!」
って先物取引で一儲け企む中小企業のオヤジかよ!しかもそんなこと言ってるから・・・
その2、後白河に「どれだけ答を先延ばしして恩賞をつり上げ、どちらについたところで行き着く先は同じじゃ・・・朝廷の番犬としてこき使われたまま志半ばで死んでゆくのだ」
哀れ清盛、先物取引失敗でポチ盛のまま現状維持┐(‘~`;)┌
その3、一方頼長は「私の所領を分け与えると言うておるのに忌々しい」
てかそんなもの分け与えても平氏は靡かないんでね?いっぱい持ってるし。平氏を味方に付けるんなら官位だと思うぞ!(-_-;)日の本一の大学生(「だいがくせい」ではなく、だいかくしょう^^;)と学識の高さを評された人とは思えませんな。てかケンカはからっきしだよ三級品?(一休さんかよ!)
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2012.05.19
本日は保元の乱の真相その3、頼長編です。
頼長は次男とはいえ藤原摂関家の生まれですから、生まれながらに権力の座を約束されていたように思われがちです。
しかし白河院の時代には藤原摂関家は権力の座から遠ざけられ、肩を叩かれていました(って窓際族かよ!)。
ところが白河院崩御の後、鳥羽りんが治天の君となって白河色を一掃したことで藤原家も復権を果たしました。以前にも書きましたが、これには頼長の姉の泰子(松雪ではありません)が鳥羽りんの皇后となったことが大いに関係していると思います。
頼長は最初は兄・忠通とも上手くいってたようで、男子のなかった忠通の養子になっていましたし、このままいけば保元の乱は違った展開になっていたことでしょう。
ところが歳を取ってからなんと忠通に男の子が出来てしまうのです。当然血を分けた子供に跡を継がせたいというのが親心。忠通はついに頼長との養子縁組みを解消してしまいます。
さらに忠通は同母姉の泰子と仲の良い得子と連携して地位を確立しようとします。ついには近衛帝の后に頼長は養女の多子(タコではなくまさるこ^^;)、忠通は呈子(常磐などの美少女を集めた人)を立てるなど最早修復不能な関係となってしまいました。
そこで頼長を溺愛する忠実は、忠通を勘当した挙げ句、番組にも出てきた藤氏長者の証である朱器台盤を奪ってしまうという愚行に出てしまいます(番組では乱のどさくさで忠通がまた奪い返すらしいですが┐(‘~`;)┌)
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2012.05.18
保元の乱の真相その2、今夜は美福門院得子を見てみましょう。
一見得子と保元の乱とは直接関係なさそうな感じですが、我が子の近衛帝を即位させるために崇徳帝を騙したあの日から(すっ転んだコントの日^^;)、実は保元の乱の火種は燻っていたような気がします。
もちろん得子は溺愛する我が子のためにしたことで、本当はドラマとかで描かれるような悪女ではなかったのかも知れません。
ただ結果としてそれ以前からたまちゃん近臣の呪詛疑惑などで、閑院流藤原家(たまちゃんの実親で崇徳帝の外戚)の勢力を衰えさせたのは事実ですし、これが結局得子の従兄弟でもある藤原家成の勢力拡大を招き、ひいては平氏に少なからず恩恵をもたらしたということになります。
つまり崇徳にとっては外戚の勢力を衰えさせられ(これがなければ孤立することもなかったとも)、さらに騙されて退位させられたという踏んだり蹴ったりの憎き女狐ということになります。
なので番組のように鳥羽りんが危篤だからと会わせようなんてことには絶対ならないですし、崇徳もあれだけ酷い目にあってるので得子の言うことをまともに聞く訳がありません。
ただし危篤の鳥羽りんの所へ崇徳が駆け付けたことだけは事実ですが( ̄▽ ̄;)
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2012.05.17
本日は保元の乱の真相です。
これまでの経緯を見てみますと、白河院とたまちゃんの不義密通によって生まれた崇徳(顕仁親王)を鳥羽りんが叔父子と忌み嫌ったことがすべての始まりだったように感じます。
しかしこの話は現在のスタンダードのような印象を受けますが、実はこのストーリーは「古事談」にしか出てきません。
僅か5歳で崇徳が即位したので、鳥羽りんは若くして(20歳)退位させられたような印象を受けます。しかし鳥羽りんが即位したのも同じく5歳の時で、院政の時代では極普通なのです(天皇が幼いから上皇が政を行う)。青筋立ててキレるところではないんです( ̄▽ ̄;)
当時は治天の君が白河院だったので、鳥羽りんはすぐに政を行うことはできませんでしたが、その後崇徳・近衛・後白河(即位後崩御)と28年にも及ぶ長期政権です。
しかも不倫妻のはずのたまちゃんとは次々と子をもうけていますし、得子が入内したのはかなり後になってからのことです。
ただたまちゃんの不義密通が白河院の死後、何らかの理由で発覚したのなら話は別です。また鳥羽りんが崇徳を忌み嫌う理由も叔父子であること以外に見当たらないのも事実です。
ということで私の印象としては、叔父子であることは事実であるが、それが発覚したのは崇徳帝即位のかなり後で、逆にそれが余計「あなにくし」の気持ちを増幅させたのではないでしょうか?もちろん番組のように鳥羽りん改心なんてことは絶対なかったと思います( ̄▽ ̄;)。
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2012.05.16
本日はツッコミ系「ここが変だよ清盛その63」です。
その1、後白河帝の即位の儀の後の宴で、崇徳の祝電(?)「あなにくし」が披露され「おのれ上皇」と手当たり次第物を投げつける後白河 (ノ-_-)ノ~┻━┻
ななななんで「あなにくし」ごときでそんなに激怒してるんだこの人?清盛キックに続いて、白河院(もののけ)の血を表現したかったのかも知れませんが、ただ憎いと言っただけでこんなに暴れるのはどう見てもただの精神異常者か、ひきこもりの家庭内暴力ですけど( ̄▽ ̄;)
その2、思いがけなく六波羅の平家を訪ねてきた義朝に、驚いた清盛は「義朝!どうしたのじゃ。お前が訪ねてくるなど天変地異の前ぶれか」
いいえ、ただの保元の乱のフラグです( ̄▽ ̄;)
その3、あくまでも和平路線を主張する今回の穏健派(途中から路線変更)の清盛(-_-;)に、池禅尼は清盛が部屋から出て行った後、「忠正殿!いざというときにはそなたが守っておくれ。亡き殿のお志を」
ってこっちでも上皇方へ与するためのフラグかよ!(もうあちこちフラグだらけ( ̄▽ ̄;))そういえばあんたは今回の天皇レースの最有力候補にノミネート(?)されていた重仁親王(崇徳上皇の息子)の確か乳母だったな史実では( ̄▽ ̄;)
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